「~できんようになった。さみしい」

母が「~できんようになった。さみしい」という。
つい、「昔からできとったわけではない。させてもらっとっただけや」と言い返す。

この身体は借り物であり、~できていたことは与格としての私にどこからかやってきたことだ。【与格的主体】私はそう思っているけど、それを母に押し付けようとする心が働いてしまう。「この身体も出来ていることも与えられたものだ。どうしてそれがわからんのや」と思ってしまう。本当は「さみしい」気持ちの方を受けとめなければいけないのだけど・・・

昨日、はまぐりの数学のサイトを見ていて、あれこれはどう解くんだったっけと思い、それを計算し始めた。所が解けない。一日悩んで計算したけど解けないので、過去の数学ノートを数冊取り出してあちこちめくったら解き方が書いてあった。2年前の記録だ。すっかり忘れている。

Regiomontanusの問題

点Cがx軸に沿って動くとき、Cから見てABが一番大きく見える位置は?

 

母は「どうして昔の歌を覚えているのか。同級生に聞いても誰も覚えとらん。不思議や」とよく言う。「当たり前や。毎日歌っとるからや」と言う。記録と記憶の違いはここにあるのかもしれない。

記憶ではなく記録のために【解き方のページ】を作っておいた。