廻向とは大悲を起こすこと

ここの所、身体も心も調子が良くなかった。
昨日、やっと一仕事が終わって、昨夜は少し眠れた。
 
ところがジオジェブラの教材作りは止まらない。
止まらないけど、あまりの難しさに二日ほど苦しんで、
ソフトの方も心の方も動かなくなってしまった。
 
夕べは和讃を歌いながら眠った。
 
「願土にいたればすみやかに
 无上涅槃を証してぞ
 すなわち大悲を起こすなり
 これを廻向と名づけたり」
 
「還相の廻向ととくことは
 利他教化の果をえしめ
 すなわち諸有に廻入して
 普賢の徳を修するなり」
 
廻向とは亡くなった方たちのはたらきであり、
私たちができることではない。
でも、私たちもそれができるようになる。
 
朝、中日春秋を見ていたら、沢井余志郎さんのことを取り上げていた。
 
「人々は忘れることができるから、受けた苦しみから次第に逃れられ、
 またそれゆえに、あいも変わらず先人の過ちを型どおりに繰り返すのです」
 
という魯迅の言葉をあげていた。
だから、弱者の声を聞き取り、それを記録する。
その記録を読むことで、語った人たちが、自分自身を、状況を客観視できる。
そうしてつながり、希望を見出してゆく。
だからその記録を何度でも繰り返し読み直さなければならない。
と、同時に声を聞きとり、記録していかねばならない。
 
朝、西山を見たら、屋根に少し積もった雪と朝日のコントラストが美しかった。
イメージ 1