「宗教を市場化する?」

宗教を市場化する。(もちろん否定的に言っているけど、けっこう飛びつく人がいるかも)
 
朝日新聞グローブ」で、「うつ」になった英国人が語っていたことが印象的だった。
 
『それまで、
病気で仕事を休んだこともなく自分が「うつ」になるなんて考えたこともなかった。
ところが、すこしずつその症状があらわれてくる。
最初は些細なことが不安になり、やがて簡単な決断も悩み過ぎてできなくなる。
切羽詰まって、悩みに悩んで病院に行こうと休みを取る連絡をしたら、
弱い人間と見なされてしまうのではないか、
そうなったら自分のキャリアは終わりだと何時間も悔やむ。
 
この人が、立ち直ったきっかけは同じ会社の人から声をかけてもらったから。
「一緒に食事をしないか」という声掛けのおかげで、
少しずつ会社に復帰し、やがて立ち直ることができた。
そして、彼は病気から回復して、自分はより強い人間になれたと思う。
 
「自分はもう終わりかと思ったがそうではなかった。
心を病んだ人を切り捨てて、新しい人を雇えばコストがかかる。
休んだ人を支えるのはビジネスとしても素晴らしい判断だ。」』
 
彼は、自分を追い込んだものの正体を見つけてはいない。
それどころか、自分自身の病気をケア市場に取り込もうとしている。
企業が社員のうつに取り組むのをコストで見るという見方が、
彼自身を追い込んだと思うのだが。
でも、たくましいと言えばたくましい。
これを「強い人間」というのなら、私は弱い人間でいる方が幸せだと感じる。
新自由主義的統治(主体化=服従化)は強力だ。
器官なき身体」が解りにくいのも頷ける。
 
新自由主義は、本来市場化できないところにも常に新しい市場を開拓しようとする。
そして、商品化して利益が上がらないものは簡単にきり捨てる。
市場化と競争化が「うつ」を生み出し、その「うつ」をさらに市場化するという笑い話なのだ。
 
こういった私たちの苦しみを市場化し、そのケア市場に宗教も参加できる。
現代人の苦しみをケアという視点から「救いという宗教」として。
宗教はケアを商品にしてはいけないが、ケアはすでに商品になっているかもしれない。
宗教のケアは洗脳が心配だけど、こちらは科学的なので安心とか・・・。
しかし、そんな中で、商品ではないケアをしようとしている人たちがちゃんといる。