「寺院護持」と「寺院経営」は違う

昨日は組長会があった。
 
寺院や宗門の厳しい現実がデータとして示された。
門徒数約800万人がこれからどんどん減っていくということ。
廃寺の増加、墓じまい、離郷、過疎は現実問題。
 
人口減少により、家計収入が今後10年で30%減少する。
そして、大量死の時代を迎える。
 
そういうデータを示されると、見通しは暗い。
が、それは右肩上がりの発想をベースにしているからだ。
そして、その対策がいくつか示されたが、気になることがあった。
その対策は全て「村おこし」的なものだということ。
 
「村おこし」が悪いわけではないが、それはたいてい活性化と元気になることを目標とする。
そのためには、経済的な問題が優先される。
活性化=経済的な活性化
となるところがいつも引っかかるのである。
 
寺院は宗教活動である。
宗教活動が経済活動と結びついていくところに最も問題があると思う。
 
ではどうすればいいのか。
それは、面白いことを考えすればいいのだ。
面白そうだからやる。
 
ところで、寺院離れは進んでいるけれど、宗教本はよく売れているという話があった。
よりどころを求めている人が多いということだ。
でも、それをニーズとか、市場調査でとらえると寺院経営となる。
そちらの方からのアイディアや経営的な発想が気になるのである。
 
「私のための念仏」
それだけを求めてきたが、そのことと寺院護持との関係はどうなのだろう。