「ハラスメントは連鎖する」

サイバースペースという言葉はサイバネティックスからきている。
この概念を発見したのはウイナーである。
 
40年ぐらい前に、教育工学というのがはやり、授業のフローチャートを描かされたことがある。
課題を出した時、子どもができなかったらフィードバックをするという図である。
その課題でできなかったら、フィードバックをして同じことをやっても無意味だろうと思って、
いつしか使わなくなっていった。
 
しかし、ウイナーが考えていたのは、フィードバックすることによってその行動を修正するということだった
ということを知った。
最初から完璧なプランを立てることは、原理的に不可能である。
だから、人間はやってみてその結果を見て修正を加えるという、フィードバックなしには生きていけない。
さらに、フィードバックそのものをフィードバックして修正すれば、それは私たちの学習という行動を表現している。
サイバネティックスは学習の理論だったのだ。
 
これも、20年ぐらい前のことだったが、私の授業がエンターテインメントで、芸人みたいだと言われたことがある。
サービスが過剰であるということで、消費文化に乗っているようでイメージが悪くいつしかトラウマになっていた。
 
この本を読むと、教育そのものがハラスメントを含んでいることがわかる。
そして、ハラスメントとエンターテインメントが対比されており、
説明し、評価するということはハラスメントであり、そうではない相手の学習を喚起するコミュニケーションのあり方は、エンターテインメントであると書いてあった。
 
「学習とは、新たなコンテキストを獲得していくことであり、獲得されたコンテキストによって、行動も変化していく。いくら知識を詰め込んでも学習能力は高まらない。学習する立場にとっては、自分の内部のダイナミックスを喚起するような働きかけを受けること、つまり、エンターテインメントされることが重要であり、取捨選択の自由は自分に残されている。」
 
自分のやって来たことは、自分自身の面白さを求めてきたことだけだったが、やっとその意味づけをすることができたと思うと同時に、後ろめたさが消えていった。
 
三つ目。ここ数年、縁起的な立場から科学を批判的に考えるようになっている。
しかし、今までの科学の成果や理論は魅力的だ。
そこに矛盾を感じていたが、先ほどのフィードバック学習を取り入れると、
「科学とは仮説を持って対象に向かい、理解を修正していくという学習過程のひとつ。現象から捉えたコンテキストを明確に認識できるようになること。そして、それを日常のコンテキストに接続する能力を磨きあげること。」
とすっきりする。
仮説は変わりうることもよくわかる。
 
以上、3つのことを自覚することができた。自分の行動の意味づけができることは喜びである。