満蒙開拓平和記念館

いつの間にやら10月になってしまった。
9月29日に郡上一揆の会の旅で、長野県の阿智村満蒙開拓平和記念館を訪ねた。
途中、御嶽の噴煙が見えた。
 
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館の方に、丁寧な解説をしていただき、いろいろなことを考えることができた。
私にとって考えるとは疑問が浮かぶことだが、
なぜ、満州は「日本の生命線」という言葉が出てきたのか
(これが日中戦争、やがて太平洋戦争へと突入する原因となる)
その言葉が、なぜ国民を動かしたのか
五族協和・王道楽土という理想を掲げた満州国をどう考えたらいいのか
いろいろなことが浮かんできて、調べていたると、飲み込まれそうになる。
 
満州移民が国策になったこと
それも、陸軍の大きな宣伝による。
国策になってしまった時、個人にどんなことができるのか
取り残された人々の苦しみは、昭和20年8月15日で終わりではない。
この悲劇から何をこそ学ぶべきなのか。
 
満州に移民した人々の人数は27万人。
計画では500万人の移民だった。
では、彼らの国籍はどこだったのか?
満州国、日本国。どちらだったのか?