「ケアの倫理」と「縁起の思想」

 岐生研の春の学習会で、基調提案がだされた。

その中で、最も印象に残った言葉が、
「ケアの倫理から始める正義論」の「ケアの倫理」である。
 
(1)私たち人間は、
 「自立・自律し環境をコントロールできる」という「強い存在」ではない。
(2)むしろ、「外部の影響を受け、環境に左右され、傷つきやすい」「弱い存在」である。
(3)従って、私たちは「環境や他人の行為に依存し、自分でコントロールできない関係性」に巻き込まれている。
だから、
(4)「ケア」とは、他人に危害を加えないこと。
(5)「ケア」とは、自力では充たすことのできないニーズの充足を求める他者の声に応えること。
 
これを読んだ時、私は「縁起の思想」をすぐに思い浮かべた。
キリスト教」やそれの対抗軸としての「科学」はどちらも、(1)の私たち人間は、「自立・自律し環境をコントロールできる」という「強い存在」であることを前提としている。
それに対して、このケアの倫理はまさに仏教の縁起思想なのである。
だから、仏教では殺生をしないのであり、傾聴なのである。
 
仏教がケアの現場でこのように生きていると思うと、縁起思想が再生したようだ。