宗教の意味

友人が、
「宗教は何の役にも立たない。
その宗教を信じていても何かしてくれるわけではない。
逆にひどい目に会うこともある。」
と話していた。
それを聞きながらふと平家物語を思い出した。
 
以前、和讃のことで清水寺炎上の場面を調べたことがある。
清水寺延暦寺の衆徒によって焼き討ちをされた時、
次の朝、立札が立った。
そこには、
「観音を念ずれば、火の燃える地獄の穴も池に変わるのではなかったのか」
と書いてあった。
すると、次の朝には
「観音の力は深淵で測りがたく、人間の理解の及ぶところではない」
という立札が立った。
 
まず、この応答に感心する。
一つはこうやって立札を立てて自分の意見を表明することである。
そして、この返答は、
炎上が人間の行為であることを批判している。
人間の行為に対して人間と同じ行為で返しては仏の力とは言えない。
平家物語が書かれたのが鎌倉時代だとすると、
すでに神仏の力に対して現代と同じ批判があったことがわかる。
その批判に対して、仏の方では具体的な現象(奇跡)で示しているわけではない。
つまり、当時の人たちも仏に対して、より精神的なものを求めていたのだろう。
 
私たちが生きていくうえで物質的な支援は必要である。
しかし、破壊も同じ物質的な現象である。
精神的なものは物質的なものによって表現されるが、それはあくまで表現されたものである。
精神的なもののはたらきは人間の理解の及ぶところではないのである。