クオバディス

ポーランドの小説家シェンケビッチは「クオバディス」を書いた。
中学生の時に河野与一の訳を読んだ覚えがある。
 
「主よどこへ行き給う」(クオバディス)と問うのはペテロであるが、
最近までパウロだと思っていた。勘違いに今気がついた。
 
主は答える。
「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん」
 
このままでは命さえ危ないとローマを出たペテロは、
その途中でキリストの姿を見る。
そして、その言葉を聞き、再びローマへと足を向ける。
 
もちろんキリストの姿はペテロにしか見えない。
ペテロの心の中に起こったことだろう。
その結果、ペテロはネロのいるローマに帰る。
やがてペテロはキリストと同じように十字架にかけられる。
 
この言葉「クオバディス」はストーリーよりも印象に残った。
キリスト教の布教の情熱とはこのようなものだったんだと。
この物語で、ローマのキリスト教徒の質素な生活が、
ローマ貴族の贅沢で退廃的な生活と対比させられて際立つ。