浄土真宗の仏壇が金色なのはなぜか

浄土真宗の仏壇が金色なのは、阿弥陀経
 
 また舎利弗、極楽国土には七宝の池あり。八功徳水そのなかに充満せり。
池の底にはもつぱら金の沙をもつて地に布けり。四辺の階道は、金・銀・瑠璃・玻瓈合成せり。
上に楼閣あり。また金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯をもつて、これを厳飾す。
池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。
青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。
 
とあるからと思っていた。
ところが、専修寺でお聞きしたお話は少し異なっていた。
それは、無量寿経からの解釈である。
 
(3) たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく真金色ならずは、正覚を取らじ。
 
この第三願によると、浄土の人々は真金色に輝いているという。
それは、「おもしろい」と通じ、人々が内面から輝いている様を表わす。
そして、内面から輝いているのは、仏の光が当たっているからである。
仏の光が全ての人に当たり、その人も光を放つようになる。
浄土真宗の仏壇が金色なのは、金持ちの黄金趣味では決してなく、
この仏の光が当たって自らが輝いている様を表わしているのだと。
 
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この打ち敷の紋は、柳が慈悲で菩提樹が知恵を表わすという。
そもそも、善光寺の一光三尊像は、如来の具体的な働きを、菩薩で示している。
仏の左が慈悲の観音菩薩で右が勢至菩薩
つまり、仏の具体的な働きは、菩薩のはたらきとなって私たちにとどく。
 
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