観無量寿経

 
葬儀の初七日の法要の時に、久しぶりに観無量寿経を聞いた。
女性の場合は、観無量寿経となっているのかもしれない。
お経は、お釈迦様の説法なのだが、漢文で読まれるので
意味が分からず、あまり説法という気がしないと思う。
しかし、観無量寿経はなぜか昔から大事にされ、解説書も多く書かれている。
それは、お経には珍しく「王舎城の物語」が描かれているからだろう。
 
ときに韋提希、仏世尊を見たてまつりて、みづから瓔珞を絶ち、
身を挙げて地に投げ、号泣して仏に向かひてまうさく、
「世尊、われむかし、なんの罪ありてかこの悪子を生ずる。
世尊また、なんらの因縁ましましてか、提婆達多とともに眷属たる。
・・・
どうか願はくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。
われまさに往生すべし。閻浮提の濁悪の世をば楽(ねが)はざるなり。
この濁悪の処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)し、不善の聚(ともがら)多し。
願はくは、われ未来に悪の声を聞かじ、悪人を見じ。
いま世尊に向かひて五体を地に投げて哀れみを求めて懺悔す。
・・・
どうか願はくは仏日、われに教へて清浄業処を観ぜしめたまへ」と
 
韋提希(イダイケ)とはアジャセ王の母である。
夫であるビンバシャラ王を幽閉によって餓死においこまれようとし、
自らも息子であるアジャセによって幽閉される。
その時、救いを釈尊に求めるのである。
「私にどんな罪があって私たちを苦しめるこの子アジャセを生んだのでしょうか。
お釈迦様は、どんな因縁でアジャセをそそのかしたダイバダッタといとこ同士なのですか。」
 
この問いは、イダイケだけの発した言葉だけではない。
この問いは、すべての母親が一度は発した問いだろう。
 
この問いに、釈尊は直接答えない。
釈尊はなぜ答えなかったのだろうか。
答えることができなかったと言った方が良いのではないのだろうか。
イダイケの苦しみに答えることはできない。
ダイバダッタが弟子であったことの責任への問いにも答えることができない。
釈尊は教化者として沈黙せざるを得ない。
釈尊自身の生涯を振り返って自身の無力さを自覚するしかない。
 
すると、イダイケは、「憂いや苦しみの無い処を教えてほしい」
と、五体投地して懺悔(さんげ)する。