無根の信 アジャセの廻心

歎異抄の「善悪のふたつもって存知せず」の証明が、教行信証の信巻のアジャセの「無根の信」の部分である
ということに気がついた。
 
以前から涅槃経のアジャセの引用がとても長いことと、釈尊の説法があまりにもこじつけすぎると感じていた。
五逆の罪を犯した者が救われるということで大事にされたんだろうとは思っていたが、
その釈尊の説法が何となくわかってきた。
それが、「善悪のふたつもって存知せず」である。
 
全ては、縁起の思想=空無我から来ている。
アジャセは空を悟ったからこそ、無根の信が生まれたのだろう。
彼が信に至るのは、後悔→慚愧→懺悔→欲生と変化しているからだ。
その慚愧のところで釈尊の説法がある。
そして、アジャセの懺悔があり、無上菩提心=無根の信が生じる。
 
「お互いに世の中は関係性の中で成り立っている」
という縁起の思想は、
「自立とは依存することだ」
「依存する相手が増えるとき、人はより自立する」
「依存する相手が減るとき、人はより従属する」
「従属とは依存できないことだ」
「助けてください、と言えた時、あなたは自立している」
と発展していく。
 
ただ、
「我々は支えあって生きている。一人として自分自身だけでは生きていけるものはないんだ」
と考えると、従属におちいってしまう可能性がある。
縁起は対等な結びつきであることを忘れているからだ。
 
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