三受から仏性へ

私たちの生きている有様は、三つある。それを三受という。
自分の環境をどう受け取って生きていくのかと言えば、それは3つに収まる。
 
苦受(環境を自分の心にとって息苦しく圧迫してくるものとして感じ取っている)
楽受(環境が心にとってぴったりとしていると感じ取っている)
捨受(そのどちらでもない)
 
苦受からはそういう状況に置かれていることを苦しむ。これを苦苦という。
楽受は、そういうものを失いたくないという執着が伴い、それを失うのではないかという不安が出てくる。これを壊苦という。
捨受は、環境を色分けせず何とも思わないから苦がないかというと、そこからはむなしく移り行き流れ去るという空しさの意識が出てくる。これを行苦という。
 
三受は、有頂天になったり、ケロッと生きている人もいるが、どれをとってもそこには苦しみが出てくる。
これらの苦しみは、自分の思いを以て消したりつけたりできない。
 
でも、その苦悩や迷いや不安、空しさの中にこそ菩提心(悟りを求めようとする心)がある。
この不安や空しさを抱えて、確かな自分や、確かな人生を求めざるをえない、そういういのちを持っている。
この菩提心浄土の菩提心という。
 
人間はこういった不安や空しさをとおして、そこに確かな自己を問わずにはおれない存在であり、すべてのものが持っている「悉有なるもの」であり、そういう悉有なるものを「仏性」という。