凡夫の自覚

昨日は何も書きたくなかった。
何もないからではない。
出来事はあるのだが、書く気力がわかないのである。
テーマはあるのだが、気力がわかない。
 
朝起きてから書こうと考えたが、やっぱり、書けない。
でも、書き始めてしまった。
 
煩悩具足の凡夫であっても、長く生きていると
若いころには振り向けなかった事柄に目がいくようになる。
歳をとったら、それまでの経験をもとに新たな好奇心が芽生えてくる。
どうやら、その好奇心と事柄はさまざまなことを総合したような不思議な知である。
 
凡夫とは、自覚である。
それまでの、精一杯頑張ってきた自我が崩壊するようなプロセスがあって
そのどん底から這い上がるように自己をゆっくりと再建させていくことである。
 
そういう自我が崩壊するような体験がないと、凡夫の自覚はできないのである。
 
なすすべが無くなった時、
自分の無力さの限界、
それまで行ってきたことの否定の気持ちがおこる。
 
私は何をしてきたのだろう
私は何だったのか
そういったことを自分自身に問いながら
弱さから生まれるちからを醸し出すこと。
 
これは自然に醸し出されるのであって、
自分で再構築しなければと決意することではない。
 
私にできることは限られているが、それでもそこには念仏があり
また新しい自分と出会うことができる。