先日の連研で、東井義雄氏の詩が紹介された。
丁度、大西忠治氏の著書で東井義雄氏の分析を読んだ所だったので、
もう一度、東井氏の思想をとらえなおしてみる機会と考えた。
以前、教師の中に僧侶や仏教からの影響を受けた人が多いということを書いた。
そして野村芳兵衛は僧侶ではないが、浄土真宗の篤心家であった。
日本の生活指導に仏教が与えた影響は大きいと思っている。
さて、東井義雄氏のことである。
彼の文章の中には、厳しい自己内省の言葉が度々出てくる。
短気で怒りやすく、思い込みが激しい自分を、常に振り返り
思い直してその出来事から新しい「いのち」の芽を読み取ろうとしている。
まさに、「不断煩悩得涅槃」を実践している。
大西氏はそれを次のように評している。
「東井氏は教育のしごとを、技術的にはとらえなかった。
人間としての本質にかかわるものとして、人間にかかわる「悲しみ」として受けとった。」
と、とらえている。
この「悲しみ」は大悲のことであろう。
そして、その文の後に、
「それは、たしかに深い受けとめでではあるが、教師としての私のしごとにかかわる悩みやよろこびと結
びついてくれるものではなかったのだ。」
と、書いている。
このとらえは、単なる技術と宗教の違いといえないようなことがあるような気がする。
大西氏は、技術化できない東井氏の実践を深いと評価しながら、学べないと言っている。
東井氏は「人をほんものにしようとおしえるのではない。こちらがほんものになるのだ。」
と書いている。
彼の「ほんもの」は、まったくの差別のない愛(慈悲)をいう。
しかし、完全無欠な教師たりえない自己の欠点を知りながら、
それを反省するバネはいったいどこから来るのか。
それを大西氏は、かえって、東井氏の教育のしごとをわかりにくくさせていると述べている。
私は、東井氏のしごとは、
ほんものを仏の大悲におき、それを常に振り返りながら、教えるということを追究したものであると感じる。
大西氏が感じたような、そこに深い宗教的なものを見て、到底そこには至れないのではなく、短気でずけずけとモノをいう欠点だらけの教師を見る。
そして、「つまらなく、意地きたなく、欲ばりで、気まぐれな子どもの中にきらりと光るいのち」を見い出す。
東井氏はそれを技術的には語らない。
短気が教師である自分が、どうしてそういう子どもたちの中にほんもののいのちと出会えたのかは、親鸞の言葉をとおしてしか語られないのである。
大西氏の不満はそこにある。