東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(3)

わたしたちの教育実践は、関係性の中で成り立っているので、
そもそも教師一人の力で成り立つようなものではない。
 
しかし、そこにはたらく力がどのようなものであるのかを知っておくことは、
実践においは重要である。
わたしはそれを「弱さを自覚した柔らかさ」と思っている。
 
また、M君の実践の場合で言うと、
子どもに拒否されることを前提しにして指導をしていくことを常に考える。
「どういう風の吹きまわしか・・・」と無意識の世界にほかることをせず、
自覚的意図的にに実践をするようにする。
そういう意味では、極めて自力的なのである。
 
それを東井さんは「教える教育」として批判している。
「ものを言わない子ども」の実践を例にとりながら。
 
東井さんのクラスに、Aちゃんというものを言わない女の子がいた。
ものが言えないということは、まわりの雰囲気がなじめないものを持っていると考え、
Aちゃんに親切にするように配慮したが、利き目がない。
次にできるだけやさしい教師になろうとし、Aちゃんとあそび、話しかけた。
しかし、言わない。東井さんは言わせてみようと力みはじめた。
賞のハンコや国語教室賞などを見せて、とにかくものを言ってくれたらあげると言ったが、
ききめがなかった。
次は子どもの名前を書いた表を作り、Aちゃんただ一人を目当てにして、
クラス全員で、ねうちは問わないで、一ぺんものを言ったら丸をつけるという取り組みをしていく。
ところが他の子たちは張り切ったが、かんじんのAちゃんにはききめはない。
全員に本を読ませてAちゃんにも自然に立ち上がれる雰囲気を作ろうとしたが、
Aちゃんのところで止まってしまう。
東井さんはついに怒りだした。「・・・あんたは、いしころよりもあかんのだぞ!」と。
そして、後悔する。
二学期になって、東井さんはAちゃんが、掃除を実に丁寧にうまくやり、
箒の使い方や、雑巾の使い方、最後にバケツの水すてもきちんとやっていることに気がつく。
そして、
「Aちゃんはものは言わない。しかし、することの中で、Aちゃんはいつもものを言っている。
Aちゃんの動作は一つ一つ美しいことばではないか。こんな美しいことばを、毎日、
自分の行動で語っているのに、このAちゃんを責めていたわたしは、なんという聾であったのだろう。」
と思いはじめ、Aちゃんにそういうまなざしを送る様になる。
そうしているうちに、Aちゃんは心なしか微笑むようになり、側へやってくるようになった。
冗談を言うと朗らかに笑うようになってきたときに、Aちゃんに冗談を言うと「まあ、ちがうのに・・・」
という声を聞く。
 
「あれだけ、ものを言わせようとしても口をつぐんんだAちゃんが、誰に強いられたのでのでもなく、
自分から口を開いたということは、『教える教育』の限界がうかがえないだろうか。」
「指図し、教えることよりも、それをそのまま抱きとることができるような教師になることこそ、
子どものいのちを開いていく唯一の道だ。」
「いくら年を重ねてもそういう愚かさを越えることができないできないでいるのがわたしだ。
わたしは、わたしの力ではどうにもならなくなってしまっただけなのだ。」
「こんなまぐれ当たりではなく、この物指しにかなうような教師になりたいのだ。」
 
この物指しというのが「仏の物指し」である。
つまり、「教える教育」は「自力の教育」であり、「そのままだきとる教育」が「ほんものの教育」で、
ほんものの教師である。
 
東井先生は、「まぐれ当たりではなく」と書いているので、
それを技術化し定式化することを意図していると思われる。
しかし、東井さんの中には、
「そのまま抱きとる教育」が「他力の教育」であるという自覚があったのではないだろうか。
だからこそ、それを技術化し、定式化するような表現をせずに、宗教的に表現したのではないだろうか。
 
続く