東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(5)

「教える教育」の否定は、教えることを否定しているわけではない。
東井さんは「教える教育の限界」と書いていて、否定しているわけではない。
実際に、作文的教育法」(学習帳)による子どもたちの学力をつける実践など、どんどん教えている。
とすると、東井さんが「限界」や「たまたま」と言っている所を、意識化し定式化することが可能かどうか。
 
まず、東井さんの
「何がわたしを、こんな率直な気持ちにさせ、率直に詫びさせたのだろうか。それは、O君の『ほんも』のえらさだ。」という自己分析には納得できない所がある。
そもそも、O君の「ほんもの」を感じたのは東井さんだから(だけ)である。
 
Aさんの実践の自己分析はどうか。
「Aちゃんが、だれに強いられたのでもなく、自分から口を開いたということはどういうことなのだろうか。」という問いに対して、「子どものいのちを開いていくことが唯一の道だ」と答えている。
この「いのち」というのは、Aちゃんの言わないという面だけでなく、行動を見たときに現れる別の姿を見る必要があったということであろう。(でも、こう言ってしまうと、何と身も蓋もないことか。)
 
これらの東井さんの自己分析の根底にあるもの。
それは、東井さんの極めて強い自己内省である。
東井さんは、短気で、子どもと心を通じ合わせたといい気になり、思うとおりにならないと怒る。そして、自分のやったことを後になっていつも悔やむ「人間的」な教師である。
そういう教師が、なぜこのような「ほんもの」の教育ができたのか。なぜ、子どもたちの「ほんもの=いのち」に気づくことができたのか。
 
それは、そういう足りない自分であることを強く自覚していたからである。
自分が怒りっぽいことも自覚していたが、それでもやっぱり怒ってしまうということも自覚していた。
そういう自分だから、子どもたちやまわりの声に耳を傾けるしかない。
でも、なぜそう思えたのだろうか。
自分を足りないものと考えながらも、教えることがなぜできたのだろうか。
それは、子どもたちへの「平等の愛情」=「仏の大慈大悲」という絶対的な物指し(モデル)を持っていたからである。
 
そうして、東井さんは反省をしながら子どもたちの「いのち」に気がつく。
「気づかせてくれたもの」は無意識の心の働き、つまり直感である。
そして、この直感こそ、東井さんを「ほんものの教師」にしようとしていたものなのだ。
では、その直感はどう身についたのか。
 
教師の教育実践は常にあやまりを持っている。
そう自覚していると、自分の実践を常に客観的に見ることをしなければならなくなる。
これで良かったのかどうかと。
でも、これが難しい。
一人ではなかなかできない。(だから相談したり、分析会をする必要がある)
でも、実践上では、一人で判断しなくてはならないときがある。
それは直感によるしかない。
この直感をどう磨くのか。
 
自分はほんものではないが、それに気がつくことができる。
気がつけば気がつくほど自分はほんものではないと知らされる。
でも、気がつけば直していくことはできる。
その気づきはたまたまかもしれないけれど、それは、他からの呼びかけであり、声である。
そういう声に耳を傾けることができるかどうか。
 
「子どもたちというものは、まことにつまらないしろものである。・・・
現実の子どもは、ずいぶん意地ぎたなく、欲ばりで、気まぐれでもある。やきもちやだっている。・・・」
東井さんは子どものことをこう書いている。
それは、自分と同じ存在なのだ。
しかし、そのつまらないものの後ろにこどものいのちが隠されている。
そのいのちにふと触れることができるのが教師の喜びなのだ。
 
教育は教えるものが学ぶことによってこそ、子どもたちのいのちに触れていくことができる。
(こんなありふれた定式化しかできなかった。)
 
終わり