東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(1)

東井さんは、
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「ほんもの」でないものが、「ほんもの」でない自分に対して言わなければならないことを、わたしたちは、教師顔して、他人に言いつづけてきた、そこに、私たちの長い間の誤謬があったのではないか。
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と考え、なんとか「ほんんもの」の教師になろうと努力をする。
まず、ほんもののモデルがある。それは絶対平等の佛である。
そして、自分はほんものではないが、そのコトに気がつくことができる。
そして、「M君の思い出」という終戦後のある実践を書いている。
 
6年生のM君とはいくらがんばっても仲よしになれなかった。
そのM君と仲良くなるきっかけがあった。
 
体操の時子どもたちといっしょに学校の近くの小川で足を洗ったが、履物を忘れた。
それで、東井さんは子どもに背負ってもらって学校に帰ることを思いつく。
最初の子は背負ってくれたが、痩せているその子は先生の重みに耐えられず座りこむ。
 
また、川に戻って足を洗うと、次は頑丈そうなM君に眼をつける。
「M君、先生を、玄関まで、おんぶして行ってくれや。」
きっとすぐに背中を貸してくれると思っていたら、
「しらんです。よう負わんです。」
と後も見ずに行ってしまう。
最初、「振ったな」とにらんでいた東井さんは、急にM君が偉い子に見え始める。
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成績をよくつけようと、悪くつけようと、一応その権利を握っている受け持ちの先生に対して、いやなことはいやだ、といい、できないことはできない、とはっきりと言い切れる人間、これは偉い子どもだぞ、今の日本は、こういう骨のある人間を、一番求めているのではないか。こういう人間が、たの太平洋戦争のはじまる御前会議の時、
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そう思って、自分で履物を取ってきて足を洗いなおした東井さんは、M君の生活日記に「なんという、君は、偉い子だったのか。日本はいま、君のような人間を、一番、ほしがっているんだぞ。どうか、その偉さを大事に、益々みがいていってくれろ。」というような意味の手紙を長々と書いて渡す。
そして、東井さんはM君と仲良くなり、彼も甘えるような心安さを見せるようになってきた。
 
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わたしは、いまだに、ほんものの教師ではない。しかし、あの時、どういう風の吹きまわしか、わたしに背を向けていくM君をわかってやることができた。そして、それが、二人のつながりの糸口となった。それを思うと、やはりわたしは、親鸞のあの「凡聖逆謗斉廻入」のものさしに合うような、「ほんもの」の教師になるよりほかに、道はない気がする。
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と振り返っている。
わたしが、ここで考えたいのは、表題にあげた、
「東井義雄先生はほんものの教師になれるのか?」
という問いであるが、それは大無量寿経四十八願の「不取正覚」との連想からである。
 
続く