「鷲見氏・鷲見郷一覧」完成

ついに完成した。
裏表紙の鷲は討たれるのではなく、これから大空へ飛び立っていくイメージで上の方に置いたとデザインの高垣さん。

編集後記より

令和三年より、郡上東氏800年という催しが行われてきました。同時代に鷲見郷には鷲見氏が居たんだがなあという思いがありました。高鷲文化財保護協会の皆さんに、鷲見氏のことを内外に情報発信したいと話したところ、賛同を得ることができ、この小誌の発刊につながりました。

 鷲見氏の研究を進めるうちに、特筆すべき発見がありました。鷲見大鑑は二巻存在し、共に硲家に保存されていたことです。今回小誌にはその二巻と、内容はよく似ていますが、敬願寺由緒、鮎走自治会所有鷲見大鑑を掲載することができました。実は硲氏所蔵の鷲見大鑑以外のものは行方が分からなくなっています。先人が写しを残していたため今回掲載がかないました。
 森家所蔵品の中に、芥見左少弁様という記述のある古文書がありました。(もう一つの鷲見大鑑参照)安元二年(一一七五年)とあります。左少弁とは、朝廷の最高機関である太政官の役職の一つです。誰であるかは不明ですが、藤原頼保ではないかというと飛躍しすぎでしょうか。
 また、山県市が大桑城を、郡上市が篠脇城の発掘調査を行ったことにより、いくつかの学びがありました。鷲見氏の居城である鷲見城についても発掘調査が待たれるところです。

 今回の発刊にあたり、記載する古文書古記録は本来の記述のままで記載しました。翻刻についても、同じく間違いがあると思われる部分も、修正しないで本来の記述を尊重しました。
 最後になりますが、翻刻に協力いただいた「古文書読ままい会」の皆様、貴重な古文書古記録を快くお貸しいただいた皆様に感謝申し上げ、あとがきとさせていただきます。