「一数学者の弁明」を再読

ハーディの本を探し出して再読を始めた。
48年前の本。学生時代に買ったと思う。

全く覚えがない。
ハーディが70歳の時に、自分に数学における創造力が喪失したことを悲しみ自殺を図ったことを初めて知った。ラッセルが第一次大戦反戦運動で投獄されたことも知った。(これは忘れていただけかもしれない)
ラッセルは『幸福論』で、「思春期では、わたしは生を憎んだ、そしていつも自殺のがけっぷちに立っていた、もっとも、もっと数学を知りたいという思いが、とびおりることをやめさせたが。その反対に今ではわたしは生活を楽しんでいる。
・・・・ピューリタンの教育によって、私の罪、おろかさ、いたらなさ、などについて瞑想する習慣を持っていた。私はあわれきわまるものの代表に思えた。
・・・世界は戦争になるかもしれないし、ある方面の知識は難しくて到達できないかもしれない。友だちは死ぬかもしれない。
・・・」

ハーディは友人であるバートランドのこの本を読んだのだろうか。
私も70歳を超えた。元々ハーディーのような創造的な数学はできないけど、好奇心だけはある。いつまで続くのかはわからないけど・・・。

さっき「中の定理」を見ていてふと気がついたことがある。

不思議だから何度も眺めている。
なぜだかはすぐにはわからないだろう。
でも、不思議だ。
この不思議が私にとってすべてである。

タイヤの交換をしようと思って電話をしたら、来週まで予約で一杯だという。ジャッキを買ってきて(5千円)自分で交換することにした。このジャッキはとても楽だった。ところが電動のインパクトレンチが動かなくなってしまった。