業績と書物と速さ=道のり÷時間

航空会社と飲食業以外の会社の業績はコロナ以前と変わらないという。
もっと経済活動が低下していると思っていたけどそんなことはなかった。
この資本主義のエネルギーはとてつもなく大きい。

昨夜は初めて有料版のZoomを使ったミーティングをした。
時間を気にしなくてもいいというのはなかなかいい。
「わくわく図書館」の打ち合わせをした。
小さな図書館や本の働きの話がでた。
内田樹さんの話 ⇒  倉吉の汽水空港でこんな話をした

書物というのは外部への回路です。書物は読者を「いまではない時代」「ここではない場所」に連れてゆく力を持っています。ですから、極端な話本が一冊そこにあるだけで閉じられた空間に風穴があいて、そこから涼風が吹き込んでくるということが起こる。 

 

速さ=距離÷時間という概念についてメールで質問を受けた。
こういう質問は自分が自覚していなかったことに光を当ててくれるので
とてもありがたい。
自分が十分自覚していなかったことを指し示してくれるのだ。

速さのような量を内包量という。
時間や距離は外延量で直接測ることができる量。
内包量は外延量(を割って求める量である。

これがとても厄介で、小学校で教えていた時、いつも子どもたちに苦労させた。
簡単に言えば「一あたり量」。
一人あたりいくつとか、一平方メートルあたりいくつ、というように考える量を内包量という。(人間が作り出した量)

これが難しいのは平均するという仮定を含んでいるからだ。
さらに比例の概念も含む(これがあるので予想できるしイメージできる)。
「ならすと単位量あたりいくつ」という考え方は小学生にはかなり難しい。
でも、身の回りにはこの「単位量あたり」の量があふれている。
それで、体験的にこの概念を理解しようとするのだけど、それをきちんと定義しようとするととてつもなく難しくなる。(量の理論)

以前ブルデューハビトゥスを知ったとき、そういう「概念獲得」も社会の影響を受けているということを知った。
そうすると、速度の概念もこの社会の文化の影響を受けていることは間違いない。
それを明らかにしたいのだけど、具体的な事例がわからない。

でもそれにとても興味がある。
それは基本概念を分析して、それを理解することで新しい概念を理解していくという学習観に違和感を覚えるからだ。
今の子どもたちは、この速さの概念をもっと異なったとらえ方で理解しているのではないかと感じるからだ。こちらの方が面白そう。

いずれにしても速度を何かに置き換えて理解する力さえあれば大丈夫だ。

総合学習をめざして~教科書を批判的に読む 『Whyのない算数の問題』(1993.3)