科学的概念と生活的概念

最近ヴィゴツキーの「思考と言語」を読んでいる。
でも、理解できない。文章が理解できない。何よりも具体的なイメージができない。しかも、ヴィゴツキーが様々な説(特にピアジェ)を批判しているので、その批判と彼が言いたいことの区別がわからなくなるのだ。

彼の思考の特徴は「聞き言葉と書き言葉」「発達と教授」「言葉と経験」「科学的概念と生活的概念」「母語と外国語」というように対になる概念を分断対立させないで総合して考察を進めるところにある。

彼の言葉を引き出してみよう。

概念形成は、常に少年の思考の前に立てられた何かの問題の解決の過程で発生する」 当然だな。
概念や言葉の意味は発達するもの」 では、その発達の過程は?
概念の直接的教授は事実上不可能であり、無益である」 よくわかる
科学的概念は子ども自身の思想のあらゆる活動の最大の緊張のもとで発生し、形成される」 具体例では?
概念は凝固した不動の組織ではなく、生きた複雑な思考過程の中に常に存在し、一般化・意味づけ・理解・何らかの問題解決などの機能を常に遂行しているものである」 この一般化とは?「すべての概念は一般化である
教授はそれが発達の前を進むときにのみよい教授である。そのとき教授は、成熟の段階にあったり、発達の最近接領域にある一連の機能をよび起こし、活動させる」 

特に「科学的概念と生活的概念」のところで分からなくなった。
そこで、例によって具体的な例で考える。
例えば、重力とか質量とか力についての概念はどう身につくのだろうか?

概念はよく定義(言葉)で表される。
でも、この定義は言葉で伝えられても生徒たちの内面には届かない。
生徒自らが体験を言葉で表現しないと概念の形成にはならない。

例えば、ニュートンが見つけ出した、力学の第二法則を支える概念(力、加速度、質量)を子どもたちが身に着けるにはどうしたらいいのだろうか?

この画像は素晴らしいと思うけど、子どもたちの概念の形成にどんな役割をしているのだろうか?

youtu.be

国立天文台のプロジェクト「Mitaka]

4d2u.nao.ac.jp

久しぶりに計算をし直してみた。
この仮説と計算の関係は、ずっと以前に行われた観察と実験から導かれている。
だから、統合なのだけど、これを見つけたニュートンはうれしかったと思う。

72、比例で世界を読み解くことはできるか
・・・『ケプラーからニュートンへ』  (2005.11)