正しさの感覚

病院の待ち時間に読む本はなぜかよく理解できる。

佐藤文隆先生の「人格教育と科学についての論文」(現代思想7)
面白そうと思った論文は後から「矢印の図」にすることにしている。


科学教育のベースとしての数学の役割 (最近科学のとらえ方が混乱している)
      
自分が納得したことを人と共有する営みとしての数学

      ⇓ そういう数学教育は重要

      ⇓ なぜなら数学は次のことを可能にする

自分ではどうしようもない必然として存在するものが、自分の外にも内にもある(☆)

       そのことを自分で確認(体感)する(できる)

正しさの根拠を持つ=正しさの感覚の養成

 
そもそも理論とは何か

   理論   ⇌   実在=本質(これが☆)
    ↓  ↘
   技術 ⇢ 生活への理論の刻印(これは表現できない過程)   
    ↓         ↘ (認識の過程)理論が自ら姿を顕す
   具体的なすがた → 生活世界の解釈 → 表現(文学など)

理論が私たちに届くにはかなりの回り道を経なければならない。
私たちに(科学的)理論が姿を現れるにはかなりの道のりが必要。

だから、
科学的知識(情報)ではなく「なぜそう考えられるか」の正しさの感覚こそが大事。