鷲狩り伝説パネルディスカッション

新型コロナウィルスはやはり怖い。
まったく運しだいだという所が怖いのだ。

鷲狩り伝説について、読めなかったところを再度読んでみた。
かなりわかってきたが、後二か所わからない。
これには辞書が必要なのだけど、あいにく手元にないのでこれで一旦打ち切り。

ここで、いろいろ想像してみる。

同じ郡内美並町に妖鬼(牛のような)退治伝説がある。
江戸時代にできたと思われるけど、これは近隣の郷に迷惑をかけていた妖鬼を、藤原高光公が退治するというもの。
これと比べると、鷲は何も悪いことをしていないのに退治されたことになっている。(濃北一覧)
ところが、鷲見大鑑の方は捕らえたとしか書いてない。
しかも鷲と鷹が混交している。
土岐氏の鷹は有名だけど、「鷹狩り」と「鷲狩り」が混同されたのだろうか。
「鷹狩り」の鷹は権力の象徴として大事なものだった(他の者にはさせなかった)。だから天皇は鷹の「巣ごもり」で生け捕りを欲していた。殺せとは言っていない。とすると、濃北一覧の記事はおかしいことになる。

いずれにしても伝説は後から創られるものだということがわかる。

さて、問題は鷲見大鑑を誰が書いたのかということである。

(1)鷲見氏一族

(2)大屋氏

(3)小左衛門

の3つが考えられるけど、いずれも決め手に欠ける。
鷲見大鑑がなぜ(3)にあったのかということも重要である。

(2)の市兵衛文書も気になる。

(1)は鷲見家史蹟が元になっている。

これらが様々に絡み合っているけど、本来の根本資料は「従足利将軍感状写」である。
もう一つそれらをつなげる資料が欲しいと思っている。

 
とてもきれいな花だけど名前を忘れたと母。

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