実践分析のメモについて

昨夜は久しぶりのサークルに参加した。

関まで行くのには55分かかかる。帰りは48分だった。
今朝は高速道路を逆走する夢を見て怖くて目が覚めた。
昨夜は高速道路は使っていない。

サークルは今まで最高の6名の参加。

今の子どもの現状を聞き取りながら、そこから見えてくることをいろいろな立場から意見を出し合い、問題をどう見たらいいのか、これからどうしたらいいのか話し合った。

それをするために私はB紙を用意し、そこにマジックで書き込みながら話を進めた。
人数が多いと、いろいろな意見が出ることが何よりも良い。
多角的に見ることができるからだが、話題がとんだり、焦点が定まらないことがある。
だから、事実をベースにしながら、その事実が示すことが何かを明らかにすることが分析の中心になる。

その時、「何を大事にするのか」ということが最も大事だけど、これには個性が出る。
人によって大事にしたいことが異なるからだ。
だから集団で分析することに意味が出てくる。

聞き取る時、ほとんどの人がメモを取りながら分析に参加している。
私はこのメモは大きな意味を持っていると思っている。
私にとってはメモは単なる記録でなく、考えることでもある。
私にとってそこに書いてあることが現実=事実であるので、(でないと忘れてしまうから)そのメモに矢印や丸や書き込みをすることが分析になっている。
頭の中でやるのではなく、紙の上で思考するのだ。

分析は実践者が感じ取ったことをベースにする。
現実は彼が述べたものよりももっと複雑だと思うけど、実践者が自分自身をも含めて対象化するためだ。
自分自身を対象化するのは、自分もその問題の当事者であるからだ。
実践をするということは間違えることを必ず含んでいる。
だから自分自身の実践の間違いをも見つめてゆくという目が必要なのだ。
実践者は問題対象だけを見るのではない、そこに関わる自分自身をも見つめてゆく。

この時、描いていると対象化しやすい。
というわけで、中身は書けないけど、いっぱいに書かれたB紙は実践者の手にわたり、さらに書き込まれることだと期待している。