「中濃学級づくりサークル」にZoomで参加。
リアルは4名、リモートは3名。
音声が聞きづらかったけど中身は十分わかった。
「この子をどう理解するのか」は実践のベースである。
そこから構想がたち、実践が始まるから。
「どう理解するのか」を私たちは「分析」といって大事にしている。
分析は、実践から得た情報を元に行うからその情報の量と質に左右される。
それは実践者が様々な仮説を踏まえて実践で確かめているかどうかということ。
科学でいうと実験と理論の関係と同じ。
分析する方は、その情報を基に分析する。
「いろいろ(仮説を)試したけどさっぱり行動の意味がわからない」
このスタンスが実践者の最高の態度だと思う。
具体的な現象を見る時には、やはり理論が大きな力を発揮する。
でないと現象の本来の姿(子どもの思い)を捕まえることができない。
ところが理論の方もいろいろあるからどれに当てはめると良いのか考えてしまう。
実はこれが理論を用いるときに陥る大きな誤りだと思う。
理論に当てはめるのではなく、その子に理論を当てはめるのだ。
理論は仮説を生み出すための道具であって、その仮説が正しいかどうかは実践による。
つまりその子自身の反応で仮説(理論)が正しいかどうかがわかってくる。
とすると、どのような仮説を生み出せるのかが理論の役目であり、
分析するということは「その子に迫れる仮説を生み出せたか」ということだ。
その意味では実践家は科学者と同じだと思う。
今回の分析で新しい仮説を設定することができたかどうか。
そして、その仮説はその子の本質をとらえているか、と新たな実践が始まる。