記録をする意味

先日、犬山であった東海北陸の生活指導研究セミナーに参加した。
レポート分析が二回あって、それが子どもたちの様子をとてもよく示していた。
それがあるから参加しているといって良い。
 
つれあいは、「もう退職したのだから関係ないでしょ」
と言うが、子どもを通して社会の在り様を見ることは、私が持っている唯一の手立てだ。
 
二つのレポートとも若い人の報告であった。
共通している点がいくつかあった。
その一つが、子どもとの会話を丁寧に記録していることだ。
時には、思いがけないトラブルでパニックになりながらも、きちんと記録している。
 
一人の人にどうやって記録しているの?と聞いたら、メモをしながら聞き込んでいるとのこと
そういえば、自分もやっていたなと思う。
メモをとりながら対話をするという手法は、現在でもやっている。
それは、忘れないためでもあるし、描くことで状況をつかもうとするためだ。
ファインマンが、「考えたことを書くのではなく、書くことで考えている」
と言ったことは、その意味で重要だ。
 
子どもとの対話を記録すると、その意味を考える。
その時考えれば、子どもに確かめることができる。
その意味に気がつかないことがあるが、記録さえしておけば後から気づくことができる。
 
その意味では、対話と言うのは、ある事実をめぐる真実への共同作業であり、
書くことによって、見える形で真実に近いものが現われてくる。
そして、多くの分析(見え方)によって、より近いものが現われる。
それが子どもの現実だと思う。
その現実にどのように寄り添えるのかと言うことが、記録の意味なのだ。
 
今回の記録と分析で明らかになってきた子どもの現実は・・・
 
 
イメージ 1