オンライン学習について

梅雨前線がまだ停滞している。
昨日は大雨のため、岐生研の常任委員会を欠席。
代わりに会議場のパソコンを使ってZOOMで出席した。

ZOOMで十分に参加できることがわかった。
小さな声は少し聞き取りにくいが、全体の雰囲気も良くわかる。
後はもう少し大きな画面で画像を映せば大丈夫だ。

5時間の会議の昼からは眠たくなり、ウトウトしてしまったが、大事なことは聞けたと思う。ただ、リアル会議の方からは私の存在をどう感じたのかはわからない。

話題の一つに「オンライン(授業・学習)の使い方」があった。

今後、コロナの状況によっては、イベントを開くことは難しくなってくる。
そうすると少人数で会場で参加することとオンラインでの参加の「ハイブリッド参加型のイベント」という形態も考えなくてはならない。
これは主催者が大変だけど、かえって参加者は増えるのではないか。

そんなアイディアが出て面白かった。
問題はリアルとオンラインとの交流である。
オンラインの方が楽だという人と苦手という人がいることは間違いない。
そして、オンラインとAIを使った政府や企業の進める「ソサエティ5.0」の狙いの問題点を明確にすることである。

この方向は「個別最適化学習」を進めるというもの。
今までそれは手間暇がかかってやれなかったけれど、AIを使えばもっと進んだ個別化が可能であり、徹底的な個別学習をすることができる。(眠くなっていることもわかる)
つまり、学校に来なくてもAIを使って、その子どものデータを分析し、最適な学習プログラムを与えれば、いじめもコロナなど学校で起きる様々な問題も解決できるというのである。そして、そうなれば行政にとって教育にかける予算を減らすことができ、これこそ最適解だというわけである。

つまり、このソサエティ5.0の流れの中のオンライン授業は教育の中身を引き下げる道具にもなりうるということである。

このことについて鈴木大裕さんが新聞で語っていた。

オンライン学習はツールに過ぎないのに、私たちの学びの観念が貧弱なので、時間確保などという受験をゴールにした方向に流れて、それを補う手立てとしてもてはやされている。そして、効率化を突き詰めるこの流れの中で、学校は存在意義を失ってしまう危険性がある。例えば、塾のカリスマ講師の授業をオンラインで一斉配信(し、AIで個別化)するなど。そうなれば、現行でも少ない教育予算はますます減らされ、教員数は削減される。・・・

という。

これに対抗するためには、より豊かな教育を広げていくしかない。そして、オンライン学習はより選択肢を広げるツールとして活用することができる。