意識は思い出を創るためのもの

今年は雪が無かったので、墓の掃除をしてお彼岸に備えた。
例年は、雪が積もっていていつもあきらめていた。

昨夜は雪が降って積もっている。

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弟が来たので、久しぶりにいろいろなことを話した。
意識って何だろうという話になった。

昔読んだ前野隆司氏の受動意識仮説を思い出した。

「子ども時代は親に守られていて幸せだった。
いつの間にか、
『知識が増え』 『記憶が増え』 『煩悩が増え』て、今に至った。
それを次第に忘れ去って、機能的な意識も、現象的な意識も薄れ、
次第に自然に戻ってゆく様が人生の後半なのだろう。」

「意識は寝ている時には存在しない。
生まれる前にも死んだ後にも存在しないのだから、
むしろ、始めから存在していないと考える方が連続性が保たれていて自然である。
(だから意識は幻想である。)
(でも、)この世に生を受けたおかげで、
本来無いものをあるかのように感じられただけでラッキーだと思えば、
死を恐れる必要もなくなるというものである。」

「心の無い世界は何の定義も意味も無いのっぺらぼうの世界である。
つまり、心の無い世界には何もない。
と言っても、その心も意識が作り出したものだけど。」

前野氏は、進化から意識が生まれた理由を探っている。
が、はっきりとはわからない。
でも、
「意識は思い出を創るためのもの」
という。
とすると、「思い出(エピソード記憶)=物語」というものが、こののっぺらぼうの世界を豊かにしている
ということだ。