プチ法話会「唯識と浄土真宗」

雪がだいぶ積もっているのではないか、道を開けてないけど・・とかいろいろ心配しながら、プチの法話会は出席。

今回は難しいけど唯識浄土真宗のつながりの話をした。
そもそも天親菩薩(バスバンドウ)は唯識の大成者だ。
だから親鸞さんが影響を受けないはずがない。

俱生神の話をしたら
「私たちの身口意がすべて記録されているって怖い」という感想が出た。
ただし、何が記されているのかは私たちには知ることができない。
ここでふと思うのが、このブログの記録。
当然ながら全てを書くことはできないけれど、
こうやって記録したことは一か月もすると忘れてしまう。
つまり意識に上ることはないのに、ちゃんと記録は残る。
時々「何か書いたような気がするけど何だったっけ?」と検索している。

そうやって検索したら、以前唯識について書いたものが出てきた。

我が心の良くて殺さぬにはあらず (gujo-tv.ne.jp)

16年前に書いたものだけど、内容はすっかり忘れている。
よく読んでみるとなるほどと思うことが書いてある。
ところがそれをすっかり忘れているから何度も新しく学び直す。

多川俊映師のこの言葉はいろいろ考えさせられる。

生と死は切り離すことができない。
モノとこころも切り離すことができない。
モノをどんどん捨てる社会は、人も使い捨てにする。
人を大切にしない社会は人の心もしっとりと育むことがない。