気がついたら3月になっていた。
いや、気がついていないのかも知れない。
忙しい時に限って、本を読みたくなる。
ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」を読んだ。
読む契機はいろいろあった。
科学革命と人間至上主義革命について、宗教の面から見直したいと思っていた。
訳者が、「ヒューマニズム」を「人間至上主義」と訳したのが気になる。
それは革命だったのだと改めて認識。
さて、意識と知識、欲望と経験・・・
それらが情報に集約されていくという流れは面白かった。
私の感想は著者が最後に述べている言葉につきる。
「生き物はただのアルゴリズムではない」
「生命はデータ処理だけではない」
「意識は知能よりも重要である」
そもそも私という経験のコスモスをデータ化することは不可能だ。
そして、何よりも
「計算量爆発」という現象がある。
でも、それを乗り越える計算機ができるかもしれないという可能性はあるかな。
もう一つ大事な感情。
これは、データ化できない。
何よりも人間は悲しい。
「すべてのモノのインターネット」
ヒトはこれを目指している。
とすると、
宇宙は宇宙そのものを考えるような意識をなぜ創造したのか
宇宙も自分自身を知りたいと思っている。
この意識は知識ではない。
面白い比較があった。
中世 知識=聖書×論理
科学 知識=観察データ×数学
人間至上主義 知識=経験×感性
経験⇒感覚+情動+思考
(1) 自分の感覚と情動と思考に注意をはらうこと
(2) それらが自分に影響を与えるのを許すこと
(見方や行動、人格さえ変えるのを許す)
人生は経験の連続であるというとわかりやすい。
あとがきを見て、合点がいったのが、ヴィパッサナー瞑想のこと。
ハラリはゴエンカ師に師事していて、感謝の言葉を書いている。
全般に縁起の思想が表れていて、わかりやすいと感じたのはこのためだった。
彼はこう書いている。
「ヴィパッサナー瞑想の技法は、現実をありのままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。
15年間にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平穏と洞察力なしには本書は書けなかった。」