功徳=御恩=おかげ=縁起

今日は教え子と出会っていろいろ話した。
5年ぶりぐらい。もう31才になったという。
介護の仕事が楽しいと話してくれた。
 
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
 
仏教における「ご恩」は、鎌倉時代の「御恩と奉公」の影響を受けているのだろう。
 
御恩報謝と言われるように、
御恩に対する報謝だが、私たちは御恩を感じているのだろうか。
恩とは何だろうか?
さらに恩徳とは何だろうか?
 
恩とはめぐみのことで、恩恵と使われる。また恩愛と言って煩悩の一つでもある。
ではどういうめぐみなのだろうか?
 
恩徳を調べてみる。
仏の徳には3つある。
智徳:すべてを見通す智慧でもって悟りに至る(至らせる)
断徳:煩悩を断じつくし悟りに至る(至らせる)
恩徳:大悲を具して、一切衆生を救済する
本来前の二つは自利で、恩徳は利他だが、浄土教ではすべて利他である。
 
恩徳は仏が大悲をもって私たちを救済するはたらきであり、
その救済そのものがめぐみということだ。
 
さてここに「恩」についての蓮如上人の言葉がある。
 
(296)
一、万事につきて、よきことを思ひつくるは御恩なり、悪しきことだに思ひ捨てたるは御恩なり。捨つるも取るもいづれいづれも御恩なりと[云々]。
 
「何ごとにおいても、善いことを思いつくのは仏のおかげであり、 悪いことでも、 それを捨てることができたのは仏のおかげである。 悪いことを捨てるのも、 善いことを取るのも、すべてみな仏のおかげである」 と仰せになりました。
 
(298)
一、仏法には、万かなしきにも、かなはぬにつけても、なにごとにつけても、
後生のたすかるべきことを思へば、よろこびおほきは仏恩なりと[云々]。
 
「仏法においては、愛するものと別れる悲しみにも、 求めても得られない苦しみにも、 すべてどのようなことにつけても、 このたび必ず浄土に往生させていただくことを思うと、喜びが多くなるものである。 それは仏のご恩である」 と仰せになりました。
 
お浄土に生まれるは御仏のご恩。
でも、良いことを思いつくのはどうしてご恩なのだろうか?
これをおかげと言い換えると突然わかってくる。
功徳は恩であり、御恩はおかげであり、おかげは縁起である。
 
功徳=御恩=おかげ=縁起