何をやろうとしているのか

ここの所、

自分が今何をやっているのか、
何をやろうとしていたのかわからなくなることがある。

以前からそうだったが、同じことを何度も繰り返している。
特に数学でそれが多いが、
それは、前にやったことの意味が解らなくなっているからだ。

古文書を読ままい会で
粟飯原氏が59歳で歯が5枚抜け落ちたと嘆く文が出てきた。
これには身につまされる。

もちろん、同時に落ちたのではなく、
何年か前に抜け落ちたことをちゃんと記憶していて、
どの歯は何時落ちたのかも記している。
記録していたのか記憶していたのか気になるところだが、
心を打つのは、跡継ぎもいないことを嘆く場面。

歯が抜け落ちたことで、老いを感じ、自身の死も意識せざるを得ない。
そのことで、跡継ぎのことを考え出す。
と同時に、禁門の変蛤御門の変のことも記録している。

特に本山が焼けたことは大変なことで、寺院が右往左往していること
正確な情報を求めることに全力を傾けている。

何を書こうとしたのかもわからなくなってきた。