プチ法話会で「死に方プロデュース」の話をして、
「どんな死に方をしたいと思うか?」
と聞いたら
初め「ピンピンコロリ」が願いと話され、次に身内の方の死を語り出された。
義理のお父さんは、自宅で最後まで生活された。
歩けなくなり、寝た生活になると、周りの人が来て世話をしてくれた。
抱き起こしてくれて、外の様子を見てもらうなど。
その時のうれしそうな顔、そして、手を合わせていた。
穏やかな人で、叱られたことは一度もなかった。
私たちのことを「あれんたあはオシドリ夫婦や」と言っていたと聞いた。
私もそんな年寄りになれるかしら。
と。
年末に往生された方が私に語っていたことを思い出す。
おじいさんがぼけてきて、名前を言えなくなってきたとき、
抱き起こしてくれと言うので、後ろにまわって抱いてやって、
「誰に抱かれとるかわかるか?」
と聞いたら、
「阿弥陀様や」と答えた。
「死をスタートにする」ということは、こういうことだと思う。
それが生きることであり、
浄土からスタートした生だと思う。
