「デスカフェ」の試みと話し合いのはたらき

日曜日に連研、水曜日にプチ法話会があった。

連研では本格的な話し合い法座を持った。

テーマは「お浄土とは何ですか?」
「死後の世界は無いと思っているけど」とか
「浄土と今の生活がどう関係しているのか?」
というような自分自身の問いをみんなの意見を聞きながら考えてみようということだ。
グループに分かれて自己紹介から始めて、活発な意見交換ができたと思う。

プチ法話会では、「デスカフェ」の紹介をした。
が、そもそもプチ法話会自体が「デスカフェ」なのだと気がついた。

「デスカフェ」の紹介
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こうやって話し合うことは、どういうはたらきをしているのだろうか。
これは「道徳の授業」とよく似ている気がする。
・本音をきちんと言えるか
・異なる意見を受け入れて聞くことができるか
・それを総合して自分の意見を持てるか
・・・
聞いてくれる人がいるからこそ話せる。
この出会いはもっと深いものを指示しているような気がする。