郷帳と蛇抜け

江戸期を通じて、農業技術の発展により、収穫高は右肩上がりに伸びている。
ところが、正保(1645)の郷帳と宝暦6年(1756)の郷帳を比べると、石高の減った村がある。
石高が上がっている村もあれば、変わらない村もあるが、その中で、減った村がより強烈に浮かび上がる。
列島の全体的な傾向を見ると、下がっていることには何らかの原因があるはずと。
一つ、予想できるのは災害である。
 
昨日の法事で同席した方が、その該当する村の方だった。
いろいろ話していて、「蛇抜け」という言葉があることを教えてもらった。
そして、穴洞村にはその痕跡があることがわかった。
掘っていたら、折れた木が出てきたとのこと。
そして、正ヶ洞村にもその痕跡がある。
そこで、思ったのが、地名の洞というのは、元来蛇抜けの跡にできた土地ではないかということ。
 
災害が起こりやすい土地は、地名に示されているという。
そして、郷帳の石高の変化を見ることからも、災害が予想される。
減った村のなかに鮎走村があるが、ここは大きな火事が起きている。
 
こうやって法事で話ができ、新しいことが浮かび上がってくるのも、一日前の学習から来ている。
楽しいお斎であった。
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長滝寺・神社の参道
長滝の谷にも蛇抜けがあって、大災害が起きている。
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白く染まった大日岳。蛭ヶ野は雪が積もっていた。