今日は井上さんと鷲見郷の鷲狩り伝説について二時間ほどいろいろ話し合った。
その中で気が付いたことを記録しておく。
今後もっと集合的な知によって方向が見えてくることを願って。
(1) 鷲見大鑑をだれか書いたか? なぜ必要だったのか?
二巻あるるはずでもう一巻はどこか? 森保(夢保)とは誰か?
(2) 鷲見大鑑には「あただみの庄」とある「芥見の庄」について
(3) 石高1623石 鷲見郷八ケ村の合計を年代ごとに調べる
(4) 大宮殿とは? その他出てくるいろいろな人名について
(5) 承久3年の意味 東氏との関係
(6) 「かきや」小川休和師のこと。濃北一覧の原典を見たい
(7) 鷲見郷→高鷲村 どういう経緯でなぜ改名したのか
(8) 大島鷲見氏の年貢は? 免除されていたのでは?
(9) 鷲見家の由緒(濃北一覧によると)は5つある
①向鷲見(小左衛門文書)②穴洞(吉兵衛文書)③西牧谷④楢谷寺⑤等覚坊
の5つもある。②~⑤を見てみたい
(10) 市兵衛文書の読み取りと鷲見大鑑との関連を調べる
まだあると思うけど、今後の研究のための問題提起。
ちなみに「かきや」とは現代の司法書士や行政書士のようなもので、紙屋(宮川)五平治もその一人だった。必然的に古文書が集まる仕事だった。郡内には5人くらいいて、それぞれ地区ごとに分担していたという。その資料も見たいものだ。