「芥見郷土誌」を読んで

この本を読んだら、物事の解釈が住んでいる場所によって全く異なることに気がついた。

なぜ借りたかというと、鷲見大鑑に「美濃国芥見の庄を知行した」と書いてあるからだ。
鷲見郷と芥見の庄との関係がどうなっているのか調べたかった。

私が最初に思ったのは、鷲見郷が芥見の庄の一部ではないかということ。
でも、あまりにも遠すぎる。
次に思ったのが、領家の現地事務所が芥見にあったのではないかということ。
京との交流の重要な地点だし、鮎走区長文書にも「芥見左少弁様御直庄」と出てくる。
そうすると途中の山田の庄との関係が問題となる。
もう一つ岩滝郷の小島三郎が「濫ぼう」したという記録がある。
あんな遠いところから鷲見郷まで来たのか。

芥見郷土誌には鷲見氏は「芥見の庄」と「鷲見郷」を知行したと書いてあった。
鷲見大鑑を素直に読めばそういうことになる。
が、結構ショックだったが、これによっていろいろな問題が解ける。

それにしても思い込みというものは面白い。

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岩井地区には鷲見姓が多い。北野とも近い。
芥見の方言は高鷲の方言と似ている(「だしかん」など)。
芥見は奥美濃方面の開拓のための交通の要所である。