法友からのメールにこう書いてあった。
「ご列席賜りまして誠に御体解様でございました。」
卒業式に出席したことへの返答なのだが、「御体解」というのがわからなかった。
メールで質問をして教えてもらった。
三帰礼文に
「自ら仏に帰依したてまつる。
当に願わくば衆生と共に大道を体解して
無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。
当に願わくば衆生と共に深く経蔵に入りて
智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる。
当に願わくば衆生と共に大衆を統理して
一切無礙ならん。」
とある。
この「大道を体解して」が御体解様に当たる。
使い方としては
「ご苦労様<お疲れ様<御体解様」というように使うという。
なるほどと思った。
「お疲れ様」よりもずっと世界が広い。
「手考足思」をモットーとする私にとっては、
今まで知らなかったことを恥じるしかない。
(そういえば、「御体解にあずかりまして」と使っていたことを今思い出した)
卒業式に出席することは、
子どもたちと共に大道を体解して、
真如に向かおうとする心を発すことだったのだ。
ちょうどテレビ「心の時代」で「ギャンブル依存と平安の祈り」
を見ていたら、「平安の祈り」の言葉が出てきた。
その「平安の祈り」の内容がこの三帰依文と一致することに気がついた。
「神様、私にお与え下さい。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変えていく勇気を
そして、その二つのものを見分けられる賢さを」
神様を仏様に変えても違和感はない。
この二つのことを見分ける知恵を智慧というのだった。