大佛頂萬行首楞嚴經卷第五

浄土和讃、大勢至菩薩和讃の八首
 
われもと因地にありしとき 念仏の心をもちてこそ
  無生忍にはいりしかば いまこの娑婆界にして
念仏のひとを摂取して 浄土に帰せしむるなり
  大勢至菩薩の 大恩ふかく報ずべし
 
その原典を読み、何とか読み下そうと試みてみた。
 
大勢至法王子其同倫五十二菩薩と、わちよりち、
佛足頂禮し、してしてさく
我往昔恒河沙ふに、て出し、無量光と名づく
十二如來一劫相繼ぎ、其最後超日月光と名づく
念佛三昧へたまふ
 
えばあるがごとし、人をう為に專忘。
の如く二人若ずしてい、いはずして
二人相憶い、人の憶念深。是の如く乃至生よりに至る
は同じにして相い乖異せず。
 
十方如來は、うが如く生を憐念
子逃逝するとどもすとわんや
子若の如くえば、母子相違遠せじして歴生せん
 
衆生を憶い、仏をずれば、現前當來必定見佛去佛不遠。
假の方便にあるずから心開かるるを得る
染香人香氣有るが如し。此わちづけて香光莊嚴という
我本因地にして、念佛無生忍れり
今此して、念佛して、淨土(しむる)なり
 
佛圓通を問う(勢至菩薩に)
我選擇すること無く、都て攝六根淨念。
相繼して三摩地斯を得ることを第一す。
 
イメージ 1
この図を拡大して書き足し、散善義の文を書写した。
 
問う
(1)喚ぶ声とは何か?
(2)白道とは何か?
(3)私たちはどこから見ているのか?
(4)白道はなぜ狭いのか?
 
この図を見ている自分はどこにいるのか?
東岸にいるのか西岸にいるのか、それとも空中にいるのか?
 
東岸の群賊・悪獣は自分自身のことであり、
他から害されているわけではない。
水火の河も自分のことである。
 
さて、この図を見ている貴方はどこにいるのか?