われもと因地にありしとき 念仏の心をもちてこそ
無生忍にはいりしかば いまこの娑婆界にして
念仏のひとを摂取して 浄土に帰せしむるなり
大勢至菩薩の 大恩ふかく報ずべし
その原典を読み、何とか読み下そうと試みてみた。
大勢至法王子、其同倫五十二菩薩と、即わち座より起ち、
佛足を頂禮し、而して白して佛に言さく。
十二の如來一劫に相繼ぎ、其最後の佛を超日月光と名づく。
彼の佛は我に念佛三昧を教へたまふ。
譬えば人あるがごとし、一は專ら一人を憶う為に專忘。
是の如く二人若し逢ずして逢い、或いは見ずして見る。
二人相憶い、二人の憶念深し。是の如く乃至生より生に至る。
形と影は同じにして相い乖異せず。
十方の如來は、母が子を憶うが如く衆生を憐念す。
若し子逃逝すると雖ども何を爲すと憶わんや。
子若し母を憶う時の如く母を憶えば、母子相違遠せじして歴生せん。
假の方便にあるず、自から心開かるるを得る。
染香人の身に香氣有るが如し。此れ則わち名づけて香光莊嚴という。
我本因地にして、念佛の心を以て無生忍に入れり。
今此の界に於して、念佛の人を攝して、淨土に歸せ於(しむる)なり。
佛圓通を問う(勢至菩薩に)。
我選擇すること無く、都て攝六根淨念。
相繼して三摩地斯を得ることを第一と爲す。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunryuK/20191008/20191008220451.jpg)
この図を拡大して書き足し、散善義の文を書写した。
問う
(1)喚ぶ声とは何か?
(2)白道とは何か?
(3)私たちはどこから見ているのか?
(4)白道はなぜ狭いのか?
この図を見ている自分はどこにいるのか?
東岸にいるのか西岸にいるのか、それとも空中にいるのか?
東岸の群賊・悪獣は自分自身のことであり、
他から害されているわけではない。
水火の河も自分のことである。
さて、この図を見ている貴方はどこにいるのか?