報恩講の準備

明日明後日と報恩講
その間に、二七日と同窓会の法要
明後日の夜は連研

今日は報恩講の差定と法話の内容を決めた。
昨夜は久しぶりに古文書の会に出席。


報恩講ではギターで勢至讃をやるつもり。


勢至獲念仏円通 
大勢至法王子。與其同倫 五十二菩薩 即從座起。頂禮佛足 而白佛言。我憶往昔 恒河沙劫。有佛出世 名無量光。
大勢至法王子、その同倫(おなじともがら)の五十二菩薩と、すなはち座より起ち、仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、われ往昔の恒河沙劫を憶ふに、仏ありて世に出でます。無量光と名づく。
十二如來 相繼一劫。其最後佛 名超日月光。
十二の如来、一劫にあひ継ぎ、その最後の仏を超日月光と名づく。
彼佛教我 念佛三昧。
かの仏、われに念仏三昧を教へたまふ。
譬如有人 一專爲憶 一人專忘。
たとえば、人ありて、一は專ら憶を為し、一人は專ら忘るるごとし。
如是二人 若逢不逢 或見非見。
かくのごときの二人、もしは逢い(もしは)逢わず、あるいは見、(あるいは)見ること非ず。
二人相憶 二憶念深。如是乃至從生至生。同於形影 不相乖異。
二人あい憶うて二の憶念深ければ、かくのごとく乃至して、生より生に至るに、形と影とに同じくして、あい乖き異らず。
十方如來 憐念衆生 如母憶子。
十方の如來、衆生を憐念すること母の子を憶ふがごとし。
若子逃逝 雖憶何爲 子若憶母如母憶時。母子歴生不相違遠。
もし子、逝きて逃れ、憶ふといえども何か為ん。子もし母を憶すれば母の憶ふときのごとし。母と子、生を歴(ふ)るとも相違遠せず。
衆生心憶佛念佛。現前當來必定見佛 去佛不遠。不假方便自得心開。
もし衆生、心に仏を憶ひ仏を念ずれば、現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。仏を去ること遠からず、方便をからず、おのづから心開かるることを得ん。
如染香人 身有香氣。此則名曰香光莊嚴。我本因地以念佛心 入無生忍。今於此界 攝念佛人歸於淨土。
染香人の身に香気あるがごとし。これすなはち名づけて香光荘厳といふ。我もと因地にして、念仏の心をもつて無生忍に入る。いまこの界において、念仏の人を摂して浄土に帰せしむ。
佛問圓通 我無選擇 都攝六根淨念。相繼得三摩地 斯爲第一。
佛、圓通を問ひたまふ、我、選擇すること無く、すべて六根を攝し、淨念あい繼ぎて三摩地を得る、これを第一と為す。