チンパンジーにも「平等」の概念

こんな実験のニュースに目が留まってしまった。
 
 経済学で使われる心理実験「最後通牒ゲーム」を、2~7歳の人間の子ども20人 のグループと、成体のチンパンジー6匹のグループで別々に行った。
 
 この「最後通牒ゲーム」は2人1組の片方が一定の金額の分配案を提示し、もう一方が提案を受け入れるかどうかを答えるものだが、今回の実験では2色のメダルを使用。ペアの片方にどちらかの色を選ばせ、もう一方の協力があれば報酬に変えられるというルールを適用し、選んだ色の種類によって報酬をペアの両方に平等に分けるか、選んだ本人に多めに報酬を与えるかを決めた。報酬は子どもにはステッカー、チンパンジーにはスナック菓子を与えた。

 すると、人とチンパンジーで実験結果に違いは見られず、ペアで協力する必要がある時にはチンパンジーも人も報酬を等しく分け合った。デワール氏は「人間はたいてい、相手に半分あげるなど気前よく分配するが、チンパンジーも全く同じだということが今回の研究で記録された」と述べている。

 しかし、メダルを選ばない側が提案された報酬を拒否できないようルールを変えたところ、チンパンジーも子どもも、自分がより多く報酬を得られる色のメダルを選んだという。

 研究チームでは、長い進化の過程で物を分かち合うことを学習していくうち、人間もチンパンジーもより公平な結果を選ぶようになったのではないかと推察。進化論の観点からみてチンパンジーが野生でも非常に協力的なのは、生存するために群れの中での報酬の分配に敏感になる必要があったからだろうと指摘している。
 
 これを読んだとき、こんなこと当然だろう、なぜ実験する必要があるのだろうと思った。相手を自分と同じように考えることができる動物は、そうするはずである。ところが、相手が何も言えない時には、自分の方を多くする。
 この実験と全く逆の実験があったはずだと思い出した。電気刺激を少しずつ与えていく実験である。相手に対して一方的だと、人間はどんなひどいことでもするという実験だった。(ミリグラムのアイヒマン実験
 とすると、相手と対等であるという条件をどのように設定するのかが大事ということになる。実験の条件が大事なのだ。
 
 ただ、これを「平等」概念と言って良いのか。相手と自分とを同じ気持ちで考えるという想像力(ミラーニューロン)を獲得したということではないのだろうか。
 
最後通牒ゲームについて調べてみた。
 
 「AさんとBさんの前に1万円があります。AさんとBさんはCさんにこの1万円をもらって二人で分けることになったのですが、Cさんは1万円を分けるときの条件を一つつけました。それは1万円をどう分けるかAさんが決めること、BさんはAさんの分け方が不満なら拒否できること。ただし、Bさんが拒否したら、AさんもBさんも1円ももらえません。Aさんはどのような分割提案をすべきでしょうか?」

これはゲーム理論最後通牒ゲームというやや大げさな名前のついたゲームです。「論理的には」Bさんは分割提案を拒否してしまうと何ももらえないのですから、1円以上どんな提案でも拒否する理由はありません。つまりAさんが9990円をAさんに10円をBさんに分けるという提案をしたなら、それを拒否したら10円以下の0円の収入しかないのですから、それでも受け入れざる得ないはずです。しかし、実際にはAさんが極端に自分に有利な提案を行うとBさんの側は拒否することが多くなります。最後通牒ゲームは簡単にできるので、経済学部の学生の授業の一環として行われるのを始め、数多くの実験が行われてきました。それによると、分割される金額の絶対額、被験者の経済状態が影響を与えるものの、大体Bさん側の取り分が3割を切ると拒否が多くなるようです。また、Aさん側も自分の有利な立場を濫用した相手を怒らせるようなことはあまりなく、半分づつの分割を提案することが多いようです。
 
これを読むと、半分に分けることが多いという気がするが、自分がBさんだったらその時の経済状態と心理状態と相手に対する感情によって決めるだろう。
平等の概念はよりBさんの方に相手を罰するという行動で出てくるのだろう。