法然上人の父の遺言

法然上人の父、漆間時国(うるまときくに)は、上人が9歳の時
敵の夜襲を受け、瀕死の重傷を負う。 
 
時国大事の疵(きず)を蒙(こうむ)りて今を最後の時九歳の子に向て遺言すらく、
「我死去の後、世の風儀に随(したがひ)て敵を恨(うらむ)ることなかれ、
これ偏(ひとへ)に先世の報なり、
若(もし)此讎(あだ)を報(むくわ)んと欲(ねが)はば、
世世生生互に害心を懐(いだい)て、
在在所所に輪回(りんね)絶(たゆる)ことなからん。
生ずる者は皆死を悲む、愁憂(しゅうう)更に限なし、
我此疵を痛、人又何ぞ痛ざらん
我此命を惜、人豈(あに)惜ざらんや。
我が情をもて人の思を知べし。
然(しかるに)則(すわなわち)一向に専(もっぱら)自他平等の済度を祈り、
怨瞋(おんしん)悉(ことごとく)消て親疏(しんそ)同菩提に至らんことを願べし」と、
言をはりて心を直し西に向て高声に念仏して、眠がごとく命終し給ひけり
 
「生殺を越える道」がここには明確に示されている。