「杉山雲来師と語る会」

これは日記のようなものだから、夜寝る前に書くのが一番いいのだけれど、
そうすると、今度は眠れなくなるので、いつも朝書いている。
だから、昨日の日記。
 
昨夜は、宗会議員の候補者「杉山雲来師と語る会」があった。
きっと参加者は少ないだろうと思っていたが、20名近くの方がいて
内容も、多岐にわたり、意義深い議論ができたと感じた。
 
特に、選挙権はないけれど、門徒総代会の方たちも参加され
寺院の将来のことや宗門について、ご意見を言われたのには
感動した。
 
僧侶と門徒の方たちとの貴重な連携の一つの形であろう。
出されたことをすべてまとめる力はないので、
2,3心に残ったことを書き留めておこう。
 
(1)杉山雲来師の語られる言葉は、寺の護持に苦慮している方たちへの共感と同時に、新しい方向をも示しているものであったこと。
 
 過疎の問題は、地方や山間部だけでなく、都市部にもある。
 都会に出られた方たちをどうつなぐか、そのさまざまなアイディアを具体的に出された。
 
(2)さらに、杉山師は、葬儀や法事ではおときやさまざまな要素が入り、純粋に法義だけを聞くという状況にならない。そこで、法話だけの法座をやっている。でも、一ヶ寺だけでは経済的に困難だから、数ヶ寺が共同して開催すれば(48座)・・・
 
 まるで夢のような話を聞きながら、それをすでに実行され、さらにその試みに賛同されて一緒に行われている方たちがいるということに、郡上でも行えるのではないかという夢を抱いた。
 
(3)門徒の方たちには選挙権がない。にもかかわらずたくさんの方たちが参加され、しかも、意見を言われたのには感動した。
 
 それは、雲来師の人間的な魅力に引きこまれたからだと思うが、その中で心に残ったお話がある。
 
 退職してから寺の仕事に関わるようになったが、それまでは法義については何も考えてこなかったし、知らなかった。やってきて一番良かったことは、浄土真宗のことを勉強しだしたこと。聞けば聞くほど「煩悩」が高まってくる。前から聞いている人に聞いても「わからない」と言われる。そのことに愕然としている。お話で来られる方も、「私の話はどうだったのか」とアンケートを取るぐらいでないとだめだ。・・・
 
 この「煩悩」は疑問に置き換えても良いといわれる。まず、知識として理解をしているのかどうか。そして、にこっと笑顔とであい、また来たくなるような寺にならなければならない。・・・なるほど、その通りだと思った。
 
 
・大都市で○千万人の門徒をつくる
 などという、法義とはかけ離れた大風呂敷にお金を使うのではなく、本当に身になる法義の教化にどう使ったらいいのか。
 それは、それぞれの地域で知恵を出して、身体を使って取り組むことであり、そのための援助を宗門は行うべきではないか。
 雲来師はそう締めくくられたが、法義の教化面と、宗門の事務運営面とを明確にわけ、それぞれの課題を語られる姿に、感銘を受けた会だった。
 ありがとうございました。