ブラックボックスからアフォーダンスへ

ブラックボックスとは関数のイメージ化である。
働きかけた結果が出力され、その結果その対象の性質や働きがわかるというもの。
 
それに対して、アフォーダンスは、環境の方が動物(人)に与える「意味」そのもの。
環境は様々な情報をすでに発信している。
それを我々は、身体にとっての意味や価値として、発見する。
人とモノとの間に存在する行為についての関係性そのもの。
 
これは、仏教の縁起思想そのものだと以前から考えていた。
そして、そういうすでにアフォードしているものを探索し探る方法知が問題となる。
 
モノや環境はすでに様々な意味を示しているのだ。
縁起はモノと我々と状況との関係によって立ち上がる。
 
譬えると
コップが置いてある。
水を飲む、花瓶にする、水を運ぶ、重石にする、飾り、音を出す、鉛筆立て、割れる、投げる・・・
そのものの形・形状・置かれた状況によって様々なものに変化して立ち上がってくる。
龍樹菩薩はそれを空と言った。つまり、何か厳然とした実態があるのではなく、様々な関係性の中で立ち上がってくるものだから縁起といい、だからこそ空ととらえたのだ。
 
ブラックボックスは、近代科学の基本の考え方。
アフォーダンスは、様々な環境が人間の行為に影響を与えているという考え方。
 
「環境は、意味を持っている」
「環境が、私たちに働きかけてくる」
「そのものに固有の性質や実態があるのではない。」
「関係性の中で意味が立ち上がってくる。」
「身体は意識よりも多くのことを認識している。」
 
環境が意味を私たちに与えているということは、私たちが環境に働きかけることも含んでいるが、それよりも私たちが環境の中にいるということを強調している。
それは、私たちが環境を知ろうとしている時に、すでに環境の影響を受けているということである。