吉田兼好の徒然草

三日前に、貝原益軒の養生訓を紹介した。
それと全く逆の考え方を紹介しよう。
吉田兼好徒然草である。
 
『あかず惜しいと思わば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ、
住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かわせむ。
命長ければ恥多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ。』
 
この文章と貝原益軒の文章を比べてみよう。
 
兼好の「もののあわれ」が、人間の寿命の限りがあるということからきているので、あわれを目的にする限り、「四十に足らずほどにて死なむ」となるのであろう。
 
それに対して、益軒は、その実学から長生きの目的がすでに異なっている。
王朝的な趣味と百姓の実用的な生き方の違いと言ってもいいのだろうか。
 
もちろん時代の平均年齢が異なっていることも考慮しなければならないが、学問のとらえ方がまったく異なっていることもその理由であろう。
 
この違いは認知症のとらえ方の違いに行きつく。
それは次回に。