現象学

武田青嗣さんの「現象学入門」を読んでいる。
例によって、何ヶ月もかけて。
 
わかりやすい本だけれど、私には難しい。
というのは、それを使ってどうモノゴトを考えたらいいのか
ということを現実の問題にあてはめるということが難しいのだ。
 
読んでいて気がついたことがある。
現象学の主観ー客観問題のとらえ方は、仏教の縁起の思想とよく似ている。
たぶん、そういうように以前のイメージで理解しているから似ていると思うのであって、
本当は違うのかもしれないけれど、現象学は、
私たちが、自分の「気遣い=欲望」をもってしか「外界の現れ」を理解できないとしているので
それでいいのだろうと考えている。
 
これは、それぞれの人にそれぞれの「世界」があることを示しているが、
だとすると、その世界の間の交流が問題となる。
 
「私たちは、いつも、そのつどの自分にとって未知=非知であるような対象=欲望の
ありようを自分の内に見い出し、これを疑い=確かめという自己了解の作業によって
遇する。そのことで人間は、同時に、世界のありようと私のありようを編み変えていく。」
 
現実のとらえ方はそういうものだと思うが、
では、その自分にとっての「欲望=気遣い」と他の人とのそれが、
どう折り合いをつけていけばいいのか
そして、そのルールはどのようにつくり出されるものなのか
 
私は、いつもトラブルは当事者どうしの折り合いのつけ方だと思っているが
これが現代(末法)では大変難しくなっていると感じる。