しゃべり続けました

同窓会で、昼の12時ごろから夜の0時過ぎまでしゃべり続けた。
この1ヶ月間、対話的なことはほとんどしてこなかったので、
その鬱憤を晴らすかのように、話し聞き、また話し、聞いて、どこまでも話題はつきなかった。
 
私の教員人生は、スタートが良かった。
未熟で授業も満足にできない若い教師が、
自分一人では何もできない事がわかっていたから
困ったことがあったら子どもたちに相談し、
子どもたちに援けられながら何とかやってきた。
(子どもたちだけではなく、保護者や先生方にも援けられたことが話を聞いて改めて感じた)
 
そのコトが、それ以後の様々な困難にどれだけ勇気を与えてくれたことだろう。
何よりも子どもたちが素敵だった。
心からお礼を言いたい。
「ありがとうございました。貴方たちとの出会いは何ものにも換え難いものでした。」
 
当時のことで忘れていることもたくさんあった。
でも、そのエピソードはまた、新たな出会いを生み出し、
30年前のこととしてではなく、今現在のこととして立ち現れる。
 
そういえば、
「教師として一番うれしいことは、あの豊かな子ども時代を
目の前の子どもを通じて何度も経験できることだ」
と言った人がいた。
まさにその通りで、語られるエピソードが新たな意味をもって
現れてくる楽しさを十分堪能することができた。
 
だから、記憶は過去(過ぎ去ったものとしての)の出来事ではない。
今現在、意味を持っておこなわれている出来事なのだ。
 
先ほどの出会いは、三十数年前の出会いとしてだけでなく、
今現在の出会いでもある。
「ありがとうございました。」