「私とあなた」の関係と「私とそれ」の関係

子どもを管理の対象と見なす関係は、
子どもを自分の意思に従うもの、自分の所有物と見なす。
この関係をブーバーは、「私とそれ」の関係と言った。
この「それ」の他者は、支配や操作や認識の対象(それ)として他者である。
子どもを私物化する関係である。
 
それに対して、子どもを自分とは異なる個別的な独立した人間存在としてとらえて、
「私とあなた」の関係を結ぼうとする他者は、私に呼びかけてくる主体(あなた)として現われてくる。
 
『傷つきやすく、もろい人間存在は常に「私」に呼びかけてくる「あなた」として現われてくるのだ。
それも、「もの」(対象)と見なされている自分を超えて「私」に呼びかけ、
なにごとかを私に委託するものとして現われてくるのだ。
しかし、「私」がこの「あなた」の呼びかけをいつも聞き取り、応答できるわけではない。
なぜなら、「私」も自己中心的な自分を越えることができなければ、
「あなた」と出会い、「あなた」の呼びかけに「応答する」ことができないからである。
私たちが「出会い・出会い直し」を強調するのは、一回の「出会い」だけで他者が理解できるものではないからである。そうした出会いによる他者理解はふたたび他者の「我有化」(私有化)に戻るからである。
そうならないためには、私もまた繰り返し自己中心的な自分を越えて、「もう一人の自分」をつくりだしていかなければならない。』
 
そして、呼びかけと応答の関係が成り立ってきたとき、
私とあなたの間に、「公共空間」「世界」が立ち上がってくる。
「世界」をもっと意味深いものにつくりあげようとし、またこの「世界」が互いをケアするものとなる。
私もあなたもその世界に生きてあることの悦びに恵まれる。
 
浄土は、居場所であり、日々新たであり、根拠地になってくるものだと感じる。
 二つの「 私」  (「 私-それ」の「 私」と「 私-汝」の「 私」)