原木切り・薪割りと「わくわく図書館」

一日かかって原木を切り、置く場所を確保するためにすぐに割って薪にした。

原木が重なっているのでかえって切りやすいが、まず駐車の場所を確保するために下の木を切った。上の方にある木の方が切りやすい。でも崩れてくるので危険を伴う。目標の10本まではいかなかったけど8本ぐらいまでは切って薪にすることができた。

チェーンソーの扱いは危険であり、しかも腰が痛くなったけど、何だか楽しい。
原木が少なくなっていくこと、今まで空いていた薪棚が埋まっていく様子を見ることが楽しいのだ。
目標が実現できることがうれしいのだ。

「人は必ず死ぬ、当然だが、生命体として、逃れられぬ掟である。いかに多くの所有を誇ろうと、いかに名声を得ようと、それをあの世に、持ち去る事はできない。その時、我々の生きた軌跡が、何かの暖かさを残して、人としての温もりと真実を伝えることの方が大切なのだ。」

これは中村哲さんの遺言のような言葉だけど、私が薪づくりをしていることは、まさに暖かさを残すこと、温もりを伝えることだ。
中村哲さんの業績には及びもつかないけど。

夜は恒例の読書会。9名の人の参加だった。
取り上げてもらった内容は、先ほどのような「中村哲さんの言葉」
その前振り。

私たちが中村さんの言動に心を打たれるのは、この世の苦しみと悲しみと喜びが表現されており、そこに「美しさ」と「貴さ」を感じるからだろう。

そして、それは中村さんのようにはできないけれどそうやって生きてきた人がおり、その心は私自身の「貴さ」へとつながり、私自身への肯定となる。

中村さんのようには到底できないではなく、その貴さを感じる力が私自身の中にあるということに気がつき、私自身の肯定につながるということ。
若松さんも中村さんもキリスト者であるけど、この「貴さ」は念仏者である私の心にも響いてくる。
宗教というものが本来もつ「貴さ」がそこには確かにある。